先日の建国記念日(火曜日)は仕事を休みにして、鎌倉に観光に行って来ました(その代わりその前の日曜日はフルで働きました・・・)。
最近鎌倉にはよく来ていますが、そういえば大仏のあるここに来たのは久しぶりです。
大仏の胎内には以前入った事がありますが、背中の上の方がバーミヤ(!)みたいになっていたのには気付きませんでした。風通しを良くする為に最初から設けてあったのでしょうか。
先ほどの大仏があった高徳院は思っていたよりもこじんまりとしていた為(もっと広い敷地だと思っていました)、他のところも行ってみる事に!
それにしても休日の鎌倉と言えばもっと混雑している筈ですが、コロナウィルスのせいか電車も街もこの日は比較的空いていました。特に外国人の方が少なかったように思います。
ちょうど梅が見ごろなようで、他の場所に比べるとこの辺は多少にぎわっていました。それでもいつもよりは空いているのでしょうね。
こちらには十一面観音菩薩立像を奥の中央に配し、
それを挟むようにして両側に観音三十三応現身像が展示されています。
尚こちらは撮影OKです。
観音三十三応現身像に関しては作者不明との事ですが、どれも細部まで丁寧に作りこまれています。
そもそもこの長谷寺は、この十一面観音が三浦半島に流れついた事がきっかけとなって開山したとの事で、ただ15年海を漂っていてこの状態を維持ずるのは難しいでしょうから、もしそれが本当なら相当の修復が行われたのではないかと思います。と言うか15年間もだと、もはやただの流木になってしまっているような気が・・・(そこは触れてはいけない所なのかもですね。笑)。
以下Wikipediaのページから抜粋です。
伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない。
寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。すなわち、養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。
本当は海の見えるところでランチをと思っていたのですが、全体的に街に人が少なくお店自体も空いていたので、歩きながら目についた物をちょこちょこ食べて行くスタイルに変更しました。
いかにも作り立て!みたいな感じの、超もちもちわらび餅です。今まで食べた物と全然違う・・・。
多分普段はもっと混んでいるのだと思いますが、お昼時だというのに貸し切り状態です。こんなに美味しいのに、なんて勿体ない・・・(お土産も買いました。笑)。
この後は他のお寺にも寄って、最後は由比ガ浜に夕日を見にいきました。また後日紹介したいと思います。